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今月のクローズアップ

[2002年6月]


朝比奈生美さん

タイトル:水の様な人

凝り性。無鉄砲。風来坊・・・(笑)
今まで、様々な言葉で、自分を表現された。
言われるのは、大概、酒の入った席で、芝居の話や、仕事の話、はたまた人生の話なんかをしている時が多い。
そして次の日、自分のやらかした酒豪っぷりを反省している時間に、うっすら思い出しては、愚鈍に働いている頭で、自分が何者なのかを考えたりするのだ。

人は誰しも、自分の理想像があると思う。そうで無くても、憧れや、目標、目指すビジョンがあると思う。
そういえば、私も、幼い頃から、常になりたい自分が居て、それは、道行く猫っ毛の少女だったり、長いスカートをはいた大人の女性だったり、帽子をかぶった男の子だったりと、その日見たものによって、毎日変わっていた。

芝居をやり出して15年。(2002年6月現在)
沢山の役を演じたし、沢山の事柄に出会った。そして、これからもまだまだ未知な世界を見続けて行くのだと思う。
生涯で、知って行く事が尽きないなんて、私は、とても幸福なんだと、思わずにいられない。

― はじまり ―
芝居をやっていて、とても好きな瞬間は、初めて台本を開いた時の「はじまり」の瞬間だ。
この時、登場人物達に対して、沢山の、ビジョンが自分の中で膨らみ、全身に、創造的なパワーが、満ちて行くのが解るのだ。
真っ白でゼロな可能性、これは、もしかしたら、私が芝居を続けている、楽しみという意味での理由かもしれない。

― 役作り ―
あの時、あの瞬間、自分はどう感じたのか、何故そう感じたのか・・・‘記憶’というコンピューターからデータを絞り出して行き、客観的視点で、見た人をモノ真似たり、それを自分なりにアレンジしたり、デフォルメしたりして、作って行く楽しさ。
芝居にしても、絵にしても、表現に滲み出る「味」は、その人の持っている感性が形になっている。
私は、天才も努力をしていると思っている性質なので(ひねくれ)キャパシティが増えるという事は経験、つまりその人の場数に比例するものだと考える。

― 作業―
演技は舞台の中の一要素。芝居を一本打つ労力の果てしなさは、本番に到達するまでの過程を意味する。
キャストがスタッフを兼用する事は、劇団「ひの」で育った私にとっては一番学んだ部分だと思う。
それに主体的に関わる事で、芝居作りを初めて体験したと言える、という事を学べたのは、私にとって、とても大きな財産であったと同時に、これから、広めて行きたいと思う一番の理念である。
装置・衣装・化粧・道具・照明・音響・・・・・そして役者(人間)といったあらゆるエッセンスが融合して出来る舞台ドラマの中で、メッセンジャーと化し、何らかを伝える時、自分だけの力で、輝いてはいないのだから、表現に纏わる全てに感心を持ち、熱心で在りたい。

こんな事を考えていると、これから先、どんなに年を重ねても、感受性の豊かな人でなり続けたいと殊更願う。

「あの人の、あの表情は忘れない」
「こんな気持ち初めて」
「あの骨董品は、いつか芝居で使おう」
「この素敵な色を作るには?」

等々、いつも、感じる事で溢れていたい。

・・・そんな訳で!私の目指すは“水のような人”何かに触れ合うと、少しの事で、小波がたったり、すぐにゆれたりする、全体が、いつもさざめく「水のような人」で、いつまでもいつまでもいたいと思った。

― 追記 ―
そういえば、最近、やっぱり酒の席で、知人に「君の第一印象はカニだった」と言われた。
「え?顔ですか?」と聞いた所、「う〜ん・・・動きとか〜、とにかく全部が」と返って来た。
その後、よく話を聞いていたら、その日は毛蟹かタラバかで、ちょっとした討論にまで発展したそうだ。
「なんかすみません。私なんかの話で・・・」だったか、そんな曖昧なまとめで、話は終わったのだが、それ以来、カニについては、あまり深く考えていない。
ただ、まぁカニも海の生き物だし、水に関係しているから、少しは理想に近づけたと思うことにしている。